山崎英明(ex. School Food Punishment / siraph) 「歌」に絡みうねる、フレージングの理由。

過去にグランディベース東京で開催され、今回のイベントのサブタイトルに冠されている 「Bass Meeting」 の記念すべき第一回目のゲストであった山崎英明。School Food Punishmentでのエレクトロに洗練されたサウンドの中でも生々しくうねるベースや、ヒグチアイ最強スリーピースやsiraphなどで見せる歌に絡むように鳴らされるフレージングの「核」を、遍歴を追いながら紐解いていく。

取材:グランディベース東京・立崎
編集:イケベクリエイティブ


5弦が出始めた頃で、楽器屋のお兄さんに「この辺じゃ絶対君しかいないよ」って。

― まずベースを始めるきっかけとなった音楽をお聞きしてもいいですか?

山崎:C-C-Bですね。小学生くらいだったかな。2コ上の姉は安全地帯やTUBE、米米CLUBとかが好きで。その頃までずっと、「ボーカルとバックバンド」という見え方だったのが、自分の中で初めて「楽器してる人がこっちにいる」っていうイメージになって。「こういう形態があるんだ」って思って、衝撃的でした。

― 「バンド」を意識した時だったんですね。「アイドル」とか「歌手」とかじゃなく。そこから楽器を始めるようになったのは、いつ頃ですか?

山崎:中学生の時に「ベースをやりたい」って親父に言いました。C-C-Bの好きだった人が・・・最初はドラムの笠浩二さんが好きだったけど、最後にはベースの渡辺英樹さんが好きになり始めてて。それで、「この人(渡辺英樹さん)がやっているのがやりたいっ」てなって。そしたらそれがベースで。

― C-C-Bは、まずみんなドラムの笠浩二さん(※)に目が行きますもんね(笑)。最初に弾いた曲もC-C-Bだったんですか?

(※)笠浩二・・・ショッキングピンクに染めた髪とパステルカラーの眼鏡、当時最先端のシモンズの電子ドラムを叩きながら高音でファルセットを用いて歌うという斬新なスタイルで話題となった。

山崎:中学校の時に、ZIGGYがキテて。超ZIGGYが好きで。「GLORIA」がドラマの主題歌(※)になってたりして。それがきっかけでやりたいなと思いながら結局その頃はやれなかったんですけど。

(※)GLORIA・・・1988年発売、ZIGGYの2ndシングル。1989年放送のフジテレビ系テレビドラマ「同・級・生」主題歌。主題歌となったことで再発されオリコン最高位3位のヒットとなる。

― そこでは弾くまでには至ってないんですね。

山崎:「アコギにしろ」って言われて。しょうがなくアコギを買って。

― その時代あるあるですね。70年代生まれあるある(山崎氏は1974年生まれ)。

山崎:とりあえず最初はアコギで、尾崎豊とか米米CLUBの浪漫飛行を弾いてみたり。それで、高校生の時にようやくベースを買いました。

― ちなみに最初に買ったベースって何ですか?

山崎:カワイ楽器のロックーン(※)を買いました。

(※)ピアノ製作で有名な河合楽器から発売されていたエレクトリック・ベース。

― ロックーン(笑)!新品ですか?

山崎:新品です。8万円くらいかな。

― 今、同じものを作るとなると15万円くらいするのではないかと・・・。

山崎:えー!持っておけばよかった!なんとなく貸したまま・・・。しかも5弦を買っちゃって。

― それは何かを意識して?

山崎:間違えてか・・・うっかり。その頃5弦が出始めた頃で、楽器屋のお兄さんに「この辺じゃ絶対君しかいないよ」って。

― 時代は5弦だよと、乗せられてしまったと(笑)。

山崎:それでZIGGYのコピーをやるんだけど、一向に5弦の部分が出てこない(笑)。しかもタブ譜しか読んでなかったし。

― でもZIGGYのフレーズはオイシイですよね。

山崎:そうそう。メロディアスな雰囲気があったりして。バッキングとオイシイところの混ざり具合があって、綺麗だなって聴きながら思ってて。

― 高校生の時はバンドはやってたんですか?

山崎:もうZIGGYのコピーバンド。高校時代、XとZIGGYしか聴いてなかったので(笑)。高3の時に洋楽好きな友達がいたりしました。

授業に出ないのに廊下でずっと練習してるみたいなことを(笑)。

― XとZIGGYに明け暮れていた高校時代のものって、今でも影響を与えていたりするんですか?

山崎:たぶんXとか影響あるんだと思います。美しい感じのメロとか後ろのピアノの哀愁感みたいなものとか。アメリカの明るいロックみたいな感じではなくて。それまで尾崎豊とか徳永英明とか聴いてたので。

― すごく分かります(笑)。では専門学校時代の話に進むのですが、高校を出て専門学校へ進学ですか?

山崎:一浪して大学に行こうとしてたんですけど、行きたい理由が・・・その頃は爆風スランプとか聖飢魔IIの人たちが「大学サークルで出会った」っていう情報しか無くて。何か始めるにはそういうことをやるしかないと思っていたから、大学に行ってサークル行きたいと思ってて。そしたら、途中から「ベースがやりたいのに、何してんだろう」みたいになってきて。頭は大して良くならないし(笑)。

― 実家、どこなんでしたっけ?

山崎:鳥取県。

― 鳥取で一浪したけど「専門学校に行った方がいいのでは?」となって。

山崎:それで行きましたね。今はもう無いけど、代々木のPANスクールオブミュージックっていうところに。

― 同期や先輩後輩では誰がいらっしゃいましたか?

山崎:高間(有一)くんとか、畑(利樹)くんとか。高間くんは同い年だけど2年くらい早く入学してるかな。畑くんはそのままストレートで。つるんでたのはそのあたりかな。あとギタリストの小沼ようすけくんも。同い年だけど学年は向こうが1つ上で。でもその時はバンドは組んでないですね。授業で習いつつ、文化祭とかの為に組んだりはしたんだけど洋楽のコピーをしてたと思います。インコグニート(※)とか。

(※)1981年結成、ロンドンのアシッド・ジャズバンド。アシッド・ジャズのムーブメントを作ったバンドの一つ。

― すごく専門学校っぽいやつですね(笑)。

山崎:ボーカル科のコがバンドやりたいって言うから、アレサ・フランクリン(※)とかもやったり(笑)。

(※)アレサ・フランクリン・・・アメリカの女性ソウル歌手で、“クイーン・オブ・ソウル”とも呼ばれる。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第1位。

― それはすごく鍛えられますね。

山崎:専門学校の時は、練習の虫みたいなことしかしてなかったんで。授業に出ないのに廊下でずっと練習してるみたいなことを(笑)。訳が分かんないけど。

― 山崎さんのプレイの特徴で、音を出す上手さっていうのは勿論なんですが、フレージングだったり歌うベースというものが特徴として言われると思うんですが、専門学校時代の練習は作曲的なフレーズを作る意識だったのか、単純に習慣のような練習のものだったのか。

山崎:その時にたまたま興味を持って就いた先生が、プリズム(※)の渡辺建さんだったんですけど。当時もメロディック・ベース・アプローチみたいなビデオを出してたりしたんですけど、ハーモニクスでコード感を出したり、タッピングでコード感を出したり、やはりコードトーンなどをすごく意識している人で。渡辺さんの最終的なレッスンでは、コード進行があってただ単にルートを弾くんじゃなくて、コードトーンを全て使って8ビートで色んなベースラインを作ってみろ、とか。例えばベースとギターとドラムのトリオだった時に、ギタリストがソロを弾いてる時に、単に鳴らすだけじゃ今マイナーかメジャーかも分からないぞ、みたいな。

(※)プリズム・・・和田アキラと渡辺建を中心に、1975年に結成されたフュージョンバンド。

― ベースでコード感を出していけと。実際にコードを弾くんじゃなくて、フレーズを弾くことによって・・・。

山崎:リズムとコードで何かしてみろ、と。それは何かきっかけにはなったと思う。すごくデカかったなって。でも、そうやってると何がカッコいいとか訳が分からなくなってきて。動けばいいのか、弾きまくった方がいいのか、色んなことを途中で感じながら頑張ってたけど。しばらく経って、結局のところ自分らしさって何だろう、とか。

― 専門学校でよくある、テクニカルなタッピングやスラップの方では無かったんですね。

山崎:結局、テクニカルでもないしオールマイティな感じでもなかったんで。

― その頃は、明確にプロになろうといった目標はあったんですか?

山崎:バンドマンになりたいってのはあって、セッション・ミュージシャンのイメージは全く無かったです。

― 拘りもあるのかもしれないですね。専門学校ではセッション・プレイヤーを目指す人が多いとは思うのですが。

山崎:かといって、ヘヴィなスラップとかをするコーンみたいな音楽を好きな人たちもいて。レッド・ホット・チリ・ペッパーズとかが上手い人もいたんだけど、そのベーシストを目指してその後どうするんだろうみたいなことも思ってたんで。歌ものも勿論やりたかったんだけど、歌ものでそういったことは出来ないのかなってどこかでずっと思ってはいたんです。メロディックなコード感のあるベースが弾けないものかなって思っていて。

― 専門学校では、プレイ的には今のスタイルに繋がりつつも、今に繋がるような活動とかは卒業までには無かったんですね。

山崎:うん。卒業した後ですね。

「絶対このバンド、おれのベース合う」と思って。絶対、おれ良いよって。

― 専門学校に入ると、「アシッドジャズとか聴いてるのがカッコいい」みたいな風潮とかがあると思うんですけど。

山崎:あったあった。(そういう風潮が)全然つまらなくて。

― じゃあそういったところにコンプレックスを感じたりとかは無かったんですね。

山崎:無かったですね。でも本当に色んなものを何も知らなかったんだなって思います。何も情報源が無かったんで。まだインターネットが普及し始めた頃だし、その頃東京に出てきたからにはベースやるからテレビなんか要らねえみたいな感じで(笑)。みんな色んな音楽を漁っていたりしたけど、そういう癖が無くてなかなか出来なくて。

― その時点で、何かをコピーして取り入れるというよりは、自分で作ってしまおうという考えだったんですか?

山崎:うん。迷いながらだけど何となくそういう感じだったし、たまに好きって思う人をギュっと凝縮して。だから小さい窓口から小さいものを拾っていただけみたいな(笑)。

― 「幅広く聴いて少しずつ吸収していくのが重要」とされていたりテクニックとして言われることが多いし勿論それも正しいとも思うんですけど、山崎さんは色んな人と逆ですよね。「いや、俺はこうだから」って。頑固とは少し違うと思うんですけど・・・。

山崎:いや、頑固だと思うよ(笑)。

― 頑固というのが、「これしか出来ない」、「ルート弾きしかしない」みたいな頑固さではないじゃないですか。柔軟な中でそのコードを膨らませていく感じとか。以前のセミナーでも話されていましたけど、山崎さんのフレーズを作るのは作曲に近いんだなと思って。フレーズを作る編曲のようになっていますから。

山崎:だからたぶん体力使うんですよ(笑)。時間も。

― 11月17日(木)の「ベースの日 Special Live!」では、その場でセッションしてアドリブでバトルしていく楽しさもあるんですけど、山崎さんのオイシさってそこじゃ無いんだと思うんです。

山崎:ほんと申し訳なくて、そういう意味で(笑)。

― 僕はアドリブが出来るのがすごいこと、出来なきゃいけないことなんだって言われることが「いや、そんなこと無いよなあ」と思っているんです。クラシックの人たちがみんなアドリブで弾いてる訳ではないですし。譜面の中の表情をつけていくことをやっているので、作り込んで行って表現するっていう山崎さんのやり方はクラシック的な考えですよね。

山崎:完全にそうですね。おれ、そういう勇気無いなって思うから。アドリブとかセッションとかをやってきてないから。どこかでそいつらに勝つには、違うところで頑張るしかない、みたいな(笑)。

― それを突き詰めているのがすごいなと思います。それが出来ないと負け、みたいな風潮も若干あるじゃないですか。そこで自身のやり方で勝ってるというところが素晴らしいと思います。

山崎:でも「ベースの日 Special Live!」で、最後に「ちょっと山崎さんもノりなよ」みたいになったら、完全に借りてきた捨て猫か捨て犬みたいになっちゃうから(笑)。「可哀想・・・」みたいになってしまう。

― 川崎哲平さんは間逆なんですよね。レコーディングでも事前に曲は聴き込んで行かないんですって。「フレーズとか詰めて行くんですか?」って伺ったら、「昔はやってたけど今は一切やらないです」って。

山崎:かっこいい(笑)。スケジュールの関係とかではなくて?

― 結局、詰めて行ってもその場でアレンジとかが変わったりするので、その場で要求されたものに合わせていくと。ボサノバっぽいフレーズが来たら、その引き出しを開けて行く作業をしているそうで。それはどっちが良いとかでは無いんですが、山崎さんとは間逆だなと。

山崎:いつかそういう技能も欲しいと思うけどね(笑)。そうじゃないと、明日もレコーディング、明後日も別のレコーディングとかになってくると、もう無理だもんね。

― 徹夜が続きますね(笑)。その人の個性なので、哲平さんのところに行く仕事が、そのまま山崎さんのところに行くわけでは無いと思うんですけど。出来ないとプロの人は仕事来ないんじゃないかなと思っていたんですが、そんなことは無いんですよね。山崎さんには山崎さんの仕事があると。では話を少し戻しまして専門学校卒業後のバンド遍歴を伺います。

山崎:その時は畑くんとscope(※)を。当時は24~25歳くらいかな。ついこないだ(10月1日@大塚Hearts+)、1年4ヶ月振りにライブをやりましたね。当時はインディーズだけど事務所所属で給料ももらって。

(※)scope ・・・1998年、専門学校にて長谷山豪、畑利樹、山崎英明によって結成された3ピースバンド。幾度かのメンバーチェンジを経て、現在はオリジナル・メンバーの3人で活動中。

― scopeは一度活動休止になっているんですか?

山崎:いや、なんだかんだでscopeっていう名義はボーカル(長谷山豪)が背負う感じになって。メンバーが色々変わりながら続いてはいて、僕も途中で抜けて違うベースが入っていた時もあるし。

― ZIGGY的な(笑)。

山崎:(笑)

― scopeの次はもうSchool Food Punishmentですか?

山崎:いや、ワタナベ(※)というバンドがあって。scopeはポップスで良い曲をscopeらしいバンドアレンジでという感じだったんだけど。でも、ベーシストとしてもっとやれるんじゃないかというのを具体化して行ったのがワタナベで。

(※)ワタナベ・・・ボーカル&ギターのワタナベカズヒロを中心としたバンドで、現在は活動休止中。山崎は2004年に脱退。

― ワタナベはワタナベさんがやってたんですか?ボン・ジョヴィみたいな感じ(笑)?

山崎:そうそう、それで良いじゃんみたいな(笑)。そこでは「それぞれの楽器が戦い合う」みたいな感じでやってて。scopeの当時のギターが辞めてから始めたバンドがワタナベで、おれは途中から入ったんだけど「絶対このバンド、おれのベース合う」と思って。絶対、おれ良いよって。で、ワタナベ脱退後、しばらくバンドはもういいかなって思い始めてて、でも最後に好きな人となんかやりたいと思って。畑くんと、おれと、CONDOR44(現・44th music)の佐々木博史くんとボーカルのnicoさんとでコトホ(※)っていうバンドをやってたんですけど。CDを作ってレコ発をやる時に、新宿MARZでやろうと思って、誰かいないですかって聞いたら、「今、School Food Punishmentっていうバンドが頑張ってるから対バンしてみなよ」って紹介してくれて、レコ発(2008年4月4日)に出てくれて。それがきっかけで打ち上げで「今度スタジオに入ってくれません?」って言われて。

(※)コトホ・・・2007年、nico、CONDOR44(当時)の佐々木博史、東京事変(当時)の畑利樹、山崎英明によって結成。2010年に活動休止。

― で、School Food Punishmentに入ることになったと。

山崎:コトホの事とかいろいろありましたが、入りましたね。おれが入ってから、インディーズで1枚(2008年12月10日発売「Riff-rain」)出して、次にメジャーでシングル出して行こうみたいな感じの流れにはなってて。入る前にデビューは何となく決まってたみたいだけど、ベースを探してる時期だったみたいで。ベースを探しながらライブしてたみたいです。

― 話が遡るんですけど、専門学校時代はまだカワイのロックーンを使用していたんですか?

山崎:高校時代にカワイのロックーン5弦を使ってたんですけど、当時ヤマハのポピュラーミュージックスクールのカリキュラムで、「スラップだけ教えてくれ」って言ってスラップだけ習ってたんです。そして、専門学校に行った時に「何の根拠も確信も無く、弦が増えたらもっとすごいことになるんじゃないか」と思って、6弦を買っちゃったの。

― その頃(1993~1994年頃)は、6弦を持っている人はかなり少なかったと思うんですけど。ミクスチャーが流行って5弦を使うミュージシャンがようやく認知されていた時期かと思いますが、当時はフュージョンの人がメインで使用しているイメージですよね。その6弦はどこのメーカーですか?

山崎:Moon(ムーン)の6弦。MBC-6かな・・・スルーネックで。えらい無茶して定価40万円くらいの。

― なのにフュージョンに走らなかった(笑)。

山崎:そうそう(笑)。

― 本当に歌うって方向だったんですね。むしろジャズ系は?

山崎:全然興味無かった。

― それはすごいですね(笑)。

山崎:結局、専門学校の時に6弦をやってたんだけど、「何で6本やってるんだろう」みたいになって。訳が分からなくなってきて。自分の中での可能性が無かったって途中で感じました。

― scopeやワタナベをやり始めた頃の機材は?

山崎:scopeは最初5弦でした。6弦の後にG&Lの5弦を買い直して。でもだんだん「ルックスも含めて5本も要らねえな」みたいになってきて(笑)。次は、Sonic(ソニック)の4弦・・・JBかな。

― ここでようやくJBが出てくるんですね(笑)。山崎さんというとJBのイメージが強いので。

山崎:ここでJBですね。世の中、PBとJBばっかりいっぱいあるので、気になっちゃってその後にSonicのPBを買っちゃいました。当時、高田馬場にSonicを扱ってるお店があって。

― 以前メインだった白のJBはいつ頃から?

山崎:あれは、School Food Punishmentに入る前かな。おれが31歳の時の誕生日プレゼントで。

― School Food Punishmentは、今のスタイルがようやく出てきたあたり・・・いやたぶんずっと変わってないんでしょうけど(笑)。

山崎:(笑)。考えていることはワタナベの頃からずっと一緒で。今でも当時のワタナベの音源を聴くと、たまに胸が熱くなるというか(笑)。攻めようとしてるなーって、そこまで頑張らなくてもいいのにやってるけど、どんどん洗練はされてますね。

― 山崎さんの攻めは、目立とうとしてる訳ではないですもんね。目立とうとしている人のフレーズの動き方じゃないですから。

山崎:ね。おれもそれはすごく思う。動くねーって思う人もいっぱいいるけど、「で?」って思う時もいっぱいありますから。

― 目立ちたがりじゃないですもんね。

山崎:いや、目立ちたいんですよ(笑)。

― オイシイところには行きたい?

山崎:そうそう(笑)。「なんかボーカルの次にベースの人もカッコよかったね」って思われたいともどこかではあるんだけど。でもそれが弾きまくるだけの人だったら、つまらないなって常日頃思うんです。

― 今でもすごく覚えてるんですけど、School Food Punishmentが終わったくらいの頃に「インストのバンドやればいいじゃないですか」って言ったら、「嫌だ」って仰ってましたもんね。「歌が無いと嫌なんだ」って話されていたのをすごく覚えていて。それだけ上手いんだからインストにしちゃえばいいのにって。

山崎:自分の存在意義が・・・どこに心を寄せれば良いのか分からない(笑)。

おれは完全に人間がやってる感じにしてやろうって思って。

― School Food Punishment(※)は4~5年くらいやってたんでしたっけ?

山崎:うん。そんな感じ。

(※)School Food Punishment・・・内村友美を中心とした、蓮尾理之、山崎英明、比田井修からなる4人組バンド。エレクトロニカ、ポストロック、プログレなど様々な音楽ジャンルを独自の解釈で消化した高度な音楽性、心象と風景とを独自の言葉で映像的に描いた歌詞、そして透明感と芯の強さを併せ持ったボーカルが、感度の高い音楽ファンのみならず、クリエイターやミュージシャンたちから支持を受ける。2012年2月に活動休止を発表し、同年6月11日に解散。山崎は2008年の加入から解散まで在籍。

― School Food Punishmentは、ヴィジュアルイメージやルックスとかも含めてすごく洗練されていましたよね。サウンドも音像まで拘り抜いて。そのあたりは、メンバー本人たちが意図するものだったんですか?

山崎:ディレクターが、そういう洗練されつつも汚い感じもというか、とにかく「洗練された野蛮」みたいなイメージを持っていたみたいで。アーティスト写真が出た頃は、ディレクターの意図もあって。おれが加入する前は、もっとお洒落な感じのイメージでしたね。

― 未だにそのイメージで影響を与えてますよね。サウンド面では、鍵盤とドラムがいて、ギターもいて、歌もあって、同機もあって、その中でベースが「歌おう」とすると大変な箇所もあったんじゃないかと思うんですが。

山崎:でも逆に「人間的だったり感情的に歌えるのはボーカル以外ベースしかいない」と思っていたので。やっぱりグリスの雰囲気とかそういうウネウネしてる感じとかって絶対ベースでしか出ないもので。周りはカチカチしてるし、ドラムも鍵盤も。ああいう感じのバンドだとシーケンスみたいに弾く人もいるけど、おれは完全に人間がやってる感じにしてやろうって思って。

― 綺麗なんだけどグシャっとした生々しさというのは、山崎さんの効果が大きいんでしょうね。

山崎:入るまではスクールフードのような音楽はあまり聴いたことが無くて。ちょっと「涼しかった」の、自分が思ってるものより。おれが今までやってたのはもっと高ぶってる熱さがあったんだけど、冷静に高揚している感じとかそういうものがあまり体験したことが無くて。何か「頭良さそうに熱い」みたいな不思議な感じで、どうして良いか分からないから今までの自分で頑張るしかないってやってはいたんだけど(笑)。

― メジャーで2枚(2010年4月14日発表「amp-reflection」 / 2011年7月13日発表「Prog-Roid」)発表していますが、未だに言われることだと思うんですけど、あのまま活動していたら音楽的にもどうなってたんだろうかと。

山崎:(笑)。そういうこと言ってもらえるから嬉しい。

― 動員や売上枚数以上の影響力がありますよね。

山崎:未だに大学のサークルなどでコピーしてくれていたりするらしいです。嬉しいですね、20代前半のコが、おれのベースを良いなって思ってくれていたりするのは。しかも、スクールフードをコピーしてくれているけれど、スクールフードはもうやっていないから、ありがたいなあと思って。


「本気で後押してやるっ!」みたいなことで、初めて出てくる未知のすごさみたいなものを伝えられたら。

― School Food Punishmentの後は、サポートなども含めるとどういった遍歴でしょうか?ここ数年で色んな現場から山崎さんの名前を聞くようになったんですけども。

山崎:ヒグチアイ最強スリーピース(※1)、TRUSTRICK(※2)・・・。

(※1)ヒグチアイ最強スリーピース・・・鍵盤シンガーソングライター・ヒグチアイの、山崎英明と畑利樹との3ピース編成。ヒグチアイは、テイチクエンタテインメントより「百六十度」でメジャーデビューを11月23日に控えている。

(※2)TRUSTRICK・・・2014年にメジャーデビューした、神田沙也加とBillyによる2人組ユニット。11月後半から5大都市ツアー「TRUSTRICK TRICK TOUR 2016」を開催予定。

― 正式メンバーとして活動しているのは、siraph(シラフ)(※)だけですか?

(※)siraph・・・元School Food Punishmentの蓮尾理之と山崎英明、ハイスイノナサの照井順政、Mop of HeadやAlaska Jamの山下賢、ソロアーティストのAnnabelによって結成されたバンド。ライブでは齊藤雄磨による映像投影を交えて独特の世界観を演出する。

山崎:そうですね。まぁバンドをやってるかやってないかでイメージも・・・バンドマンかそうじゃないか、みたいな。バンドマンでいたいし、やれるところまでやりたい感じもあります。バンドだけでもそうなのかもしれないけど、仕事だけだとね、絶対何かしらストレス溜まるし、バランス取れたら嬉しいですけど。

― 山崎さんのところに仕事の話が来るということは、向こうからすると「ベースで歌ってほしい」わけじゃないですか。そこで「やっぱり抑えて」みたいなこともあったりするんですか?

山崎:仕事の話が全部そうではないかもですが、常に120%で構築してレコーディングに向かう姿勢なので、だから削られても100%で帰ってこようとします。それが60%にされて帰ってきたことは今まで一度も無いです。

― 最近、幅広くポップスの仕事などもやっていらっしゃるので、そういったところがストレスになってしまったりしないのかなと思っていたんですけど、それはすごいことですね。

山崎:でも、ライブだけの仕事もあるので、そこは割り切っているところもありますけど。どうしても音源になっているものに対しての自分はリスペクトが良くも悪くもすごくて。これがパッケージとしてなっているのだから、誰かが完成系としている訳なので。たまにライブプレイヤーで、コード譜見ながらつるっとやりました、原曲とイメージ違ってもバレないなら大丈夫でしょ?みたいな。自分はどうしても真面目に取り組んじゃうんで。

― 忠実に原曲から拾っていくんですね。

山崎:そうですね。どうしても弾きにくいところは自分の覚えやすいようには変えて行ったりするし、慣れていく内に変えてはいくけど、基本的にはちゃんと原曲から拾うことに楽しみはあったりして。レコーディングに関しては、おれが呼ばれたからにはという感じです。

― ・・・今後どうして行きたいですかといっても基本変わらないでしょうね(笑)。

山崎:基本変わらないですね。この気持ちを頑なに・・・もうちょっと仕事として広げていければ幸いですみたいなことなので、結局は(笑)。

― いわゆるポップス的な仕事も多いじゃないですか。そういうところに例えばsiraphでやっているような濃ゆい山崎印を埋め込みたいみたいなことはあるんですか?

山崎:勿論ありますね。おれだったらもっとこうしたいのにとか、絶対ベースが良くなればもっと曲が良くなるっていうこともあって。間違いない身内で何となくやっていくっていうスタンスもそれはそれで仕事が効率的に回って良いのかもしれないけど、でもそこに「おれのベース面白いかもよ」って飛び込んでみたいんですけどね。

― 1990年代後半に亀田誠治さんが椎名林檎さんの現場でやったこと・・・想像を超える個性を持って歌い手に相対する手法が、強烈ながら歌い手の存在感をも増す形となり一躍話題となりました。そういった実例を見ていると、山崎さんが歌を活かすべく歌に対して絡んでいく姿勢は僕たちからすると一般の常識を超える発想ですが、プレイヤーとしてもプロデューサーとしても山崎さんの手法で歌を活かす現場が今後さらに増えると思うのですが。

山崎:今のところプロデュースみたいなことには興味が無いんですけど、でも全体を見渡したベースラインを必ず作ろうとはしてて。曲全体を左右するような、なおかつ曲を活かして、みたいな。でもそういうプロデューサー的な立場になるには、今まで聴いてきたものが少なかったりするのかなって。よく分からないんですけど。

― 山崎さんのフレーズは、本当に「作曲」だと思うんです。何かあるものに対して、それが歌なら歌に絡んで行く感じですよね。上にいるわけでもなく、下にいるわけでもなく。

山崎:とりあえず全体の風景の中で自分が、歌と一緒になって何かやれるんじゃなかって思ってたりもするので。ヒグチアイ最強スリーピースでいえば、おれと畑くんは「普通になんとなくやったらそうなるよね」っていうのを一切殺してやろうって感じが共通してあるから。

― ではまとめが難しいので(笑)、11月17日のライブの意気込みを聞いておきます。

山崎:(笑)。歌が強いっていうのが大前提としてあるんだけど、それを活かすには「シンプルに弾いて寄り添ってあげる」後押しの仕方もあるけど、そうじゃなくて、「本気で後押してやるっ!」みたいなことで、初めて出てくる未知のすごさみたいなものを伝えられたらなと思うんです。でも結果的にそのバトルがうるさくなく揺さぶられる、っていうのが一番良くて。シンプルな場所にも「何となくシンプル」じゃなくてしっかり意志がある、みたいな。おれらがやった時に「すごい」と思わせる、心を掴ませるのが狙いなので。これだったら他の方が良かったって思われないように気をつけてるんじゃなくて、「絶対やってやる」っていうのがあるので。

― 素晴らしい、良いまとめの言葉を頂きました(笑)。11月17日、よろしくお願いします。楽しみにしています!

山崎:(笑)。まとまった?こちらこそよろしくお願いします!


山崎英明(やまさきひであき) >>

1974年12月4日 鳥取県出身。19歳で音楽専門学校に入学し、卒業後はscope、ワタナベ、コトホなどのバンドで活動。
2008年からschool food punishmentに加入し、2009年メジャーデビューを果たす。エレクトロの要素を大胆に取り入れたロックサウンドの中で、メロディアスにうねるフレージングと肉感的なグルーヴで頭角を現す。
2012年のバンド解散後は、ドラムの刄田綴色(ex. 東京事変)と共にヒグチアイ最強スリーピースで活動、他にもAnnabel、miwa、baroque、TRUSTRICK、ビッケブランカなど、様々なアーティストのサポートを行っている。
2016年、元school food punishmentの蓮尾理之、ハイスイノナサの照井順政、Mop of HeadやAlaska Jamで活動する山下賢、ソロアーティストのAnnabelによって結成されたバンド、siraphに参加。
 
siraph Official Site : http://www.siraph.com/
Official Twitter : https://twitter.com/yamasakiBass

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