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History
1970年代 ─ 黎明期
1980年代 ─ 躍進期
1990年代 ─ 変革期
ikebe-gakki.com

50周年記念、至高の逸品が続々と入荷中です。
お見逃しなく!

>>Ikebe MUSIC INFORMATION「イケベ楽器店50周年記念モデル続々入荷中!」

次の50年へ

2025年7月18日、
イケベ楽器店は創業50周年を迎えます。

いつもイケベ楽器店をご愛顧いただき、ありがとうございます。おかげさまで、2025年7月18日「カナデルチカラの日」に創業50周年を迎えることとなりました。

これまで支えてくださった皆さまに、心より感謝申し上げます。これからも音楽を通じて、皆さまの生活を豊かにするお手伝いができるよう努めてまいります。

ロゴについて

歩んできた50年間を表現しながらも、50の影が「GO」となっており新しい時代へ向かうという意味が込められたデザインを採用しました。このタイミングをきっかけに「次の輝ける未来へ向かい新しい音色を奏でていきたい」という思いも込められてます。

2025年は、イケベ楽器店創業50周年イヤーです。創業記念日である7月18日はもちろん、驚きや感動が詰まったさまざまなイベントを企画し、年間を通じて皆さまへの感謝の気持ちを込めた特別な1年をお届けいたします。

この特設Webページでもさまざまなコンテンツを発信していきますので、これから発信される情報をお見逃しなく!

池部楽器店の歩みHistory Of Ikebe Gakki

イケベ楽器店は、1975年の創業以来、国内外の音楽シーンにおいて、プロ・アマ問わず多くのアーティストに支えられてまいりました。この50年間の歩みを、1970年代〈黎明期〉、1980年代〈躍進期〉、1990年代〈変革期〉、2000年代〈拡張期〉、2010年代〈激動期〉、2020年代〈創造期〉の6つの時代に分けて連載いたします。

1970年代 ─ 黎明期。

1975年7月18日に会社設立。2か月後の1975年9月に池袋本店(ROCK HOUSE イケベ)がオープンします。

開店当初のスタッフはたった2名でしたが、フォークソングやニューミュージックに続いてロックミュージックが隆盛となる第一次バンドブームの拡大とともに店舗が手狭となり増築。スタッフも増えていきます。1979年9月には2店舗目となる水道橋店がオープンします。

なお、高級ブランドを自由に試奏できる楽器店は当時は珍しく、「弾いてみますか?」と売り場スタッフが声をおかけしてもお客様は半信半疑でした。

<1975年(昭和50年)9月1日>池袋本店(ROCK HOUSE イケベ)オープン。
<1975年(昭和50年)9月1日>池袋本店(ROCK HOUSE イケベ)オープン。
創業者 池部春彦のメッセージ
1975年 7月(昭和50年)
会社設立
1975年 9月(昭和50年)
池袋本店(ROCK HOUSE イケベ)オープン
1979年 9月(昭和54年)
水道橋店オープン

日本音楽シーンの主なできごと

・井上陽水のアルバム『氷の世界』がヒット(1974年)、1975年には日本のアルバム史上初のミリオンセラーを記録。
・日本初の大規模オールナイトコンサート「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」が開催。(1975年)
・西城秀樹が日本人のソロ歌手として史上初となる日本武道館でのコンサートを開催。(1975年)
・子門真人の『およげ!たいやき君』がヒット。(1976年)
・音楽番組『ザ・ベストテン』が放送開始。(1978年)
・細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一がイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成。(1978年)

海外音楽シーンの主なできごと

・ポール・マッカートニーが英紙『デイリー・ミラー』のインタビューで、ザ・ビートルズからの脱退を表明。(1970年)
・シカゴ、ピンク・フロイド、レッド・ツェッペリン、グランド・ファンク・レイルロードが初の日本公演を開催。(1971年)
・イーグルスがデビュー(1972年)、1976年に初の日本公演を開催。
・エリック・クラプトン、ポール・サイモンが初来日し日本武道館公演を開催(1974年)
・クィーンのアルバム『オペラ座の夜』からの先行シングル「ボヘミアン・ラプソディ」が発売され、全英9週連続1位の大ヒットを記録(1975年)
・スティーヴィー・ワンダーが全米アルバムチャート14週1位となる大ヒットオリジナルアルバム「キー・オブ・ライフ」をリリース。(1976年)
・ヴァン・ヘイレンがデビュー、同年には初の日本公演を開催。(1978年)
・マイケル・ジャクソンが「オフ・ザ・ウォール」を発売。全米で800万枚を売り上げる大ヒットを記録する(1979年)

イケベ楽器店トピックス

1976年8月27日 ロック・フィルムコンサート「summer Rock in Ikebe」会場:豊島公会堂 入場料:400円
1976年には豊島公会堂にて開店1周年を記念しフィルムコンサートを開催。このイベントはレコード会社が提供するプロモーションビデオを視聴するロックバンド鑑賞会でした。
この頃から楽器小売店の枠を超えたイベントを独自に企画し、お客様へ楽器の販売だけではなく音楽を体験していただくというスタイルを確立していました。

雑誌広告ライブラリー

創業以来、イケベ楽器店は、数多くの音楽専門誌で、他の楽器小売店とは異なる「やわらかい」広告を多数展開し、「イケベはユニークで親しみやすい」というブランドイメージを築いてきました。その膨大な広告記事の中から一部を抜粋いたしましたので、ぜひ、ご覧ください。

エリックやブライアンはジミヘンが好き
本店の開店に先立って、イケベを全国区デビューさせた記念すべき第一号広告。イケベ楽器店の広告はこの作品からスタートしました。 楽器の宣伝も、店の宣伝文句もないページ構成は他に類を見ない斬新な開店周知広告となりました。現在もこのポスターはROCK HOUSE イケベに現存しています。 (掲載:ミュージックライフ/1975年10月号)
蟻地獄ロックハウス イケベ
1号店のオープン後、数か月が経ち掲載された雑誌広告です。「蟻地獄」というネガティブなワードを逆手に取り、店舗の魅力を箇条書きでポジティブにアピール。楽器店らしい広告とは異なる、斬新な表現が特徴です。(掲載:ミュージックライフ/1975年10月号)
KISS THE IKEBE
創業社長がアーティストを登場させた第一号広告からイメージを膨らませて考案した、ハードロック・バンド「KISS」のヴィジュアルパロディ広告です。「ROCKはただプレイするだけではないメイクやファッションもロックなのだ」という裏メッセージが込められた作品となっています。(掲載:ミュージックライフ/1975年10月号)

1980年代 ─ 躍進期。

1975年池袋エリアで1号店であるロックハウス池袋をオープンしその歴史をスタートしたイケベ楽器店は、その3年後の1979年9月に水道橋、そして1983年9月には渋谷エリアに出店を果たします。イケベ楽器店渋谷エリアの歴史は、1983年9月、現在はShibuya Sakura Stageとなっている渋谷駅西口エリアにあったビルの地下一階で渋谷店がオープンした事から始まりました。

1986年5月秋葉原エリアにリハーサルスタジオを完備したリボレ秋葉原店がオープン。その後ライブハウスも完成し、「買う」「練習する」「ライブをする」が一つの場所で完結できる新しい形の楽器店として、全国からバンドマンが数多く訪れるスポットとなりました。

渋谷エリアスタッフの集合画像。背景は「イケベ楽器村」と呼ばれた渋谷店周辺エリア
渋谷エリアスタッフの集合画像。背景は「イケベ楽器村」と呼ばれた渋谷店周辺エリア(2012年2月撮影)
1983年 3月(昭和58年)
渋谷店 オープン
1983年 9月(昭和58年)
池袋セカンドハンド店 オープン
1986年 5月(昭和61年)
リボレ秋葉原店 オープン(水道橋から移転)
スタジオリボレ(リハーサルスタジオ)新規オープン

日本音楽シーンの主なできごと
・コンパクトディスク(CD)が初めて発売される。発売第一号は大瀧詠一の『A LONG VACATION』。(1982年)
・尾崎豊が新宿ルイードでデビューライブを行う。(1984年)
・LOUDNESSがアメリカ進出を果たす。(1985年)
・THE BLUE HEARTSが結成。(1985年)
・BOØWYが解散宣言(1987年)、翌1988年に東京ドームで『LAST GIGS』を行い解散。
・B’zがシングル『だからその手を離して』とアルバム『B’z』の同時発売でメジャーデビュー。(1988年)
・『三宅裕司のいかすバンド天国』(通称:イカ天)がスタート。(1989年)

海外音楽シーンの主なできごと
・ジョン・レノンが死去。(1980年)
・レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムが死去。レッド・ツェッペリンが解散。(1980年)
・マイケル・ジャクソンがアルバム『スリラー』を発売。(1982年)
・USA for Africaの『ウィ・アー・ザ・ワールド』が発売。(1985年)
・英ウェンブリースタジアムと米JFKスタジアムにて、チャリティ音楽フェスティバル『ライヴエイド』が開催。(1985年)
・プリンスが初の日本公演を開催。(1986年)

イケベ楽器店トピックス

1986年5月25日、リボレ秋葉原店オープン。
「REBOLE秋葉原5/25OPEN!」
リボレ秋葉原店開店をお知らせする店舗広告。この当時はCADなどはなく、パース図は全て手書きで作成されました。また、パース図以外の余白には、テキストでお店の特徴がびっしりと書き込まれていました。(掲載:不明/1986年)

雑誌広告ライブラリー

創業以来、イケベ楽器店は、数多くの音楽専門誌で、他の楽器小売店とは異なる「やわらかい」広告を多数展開し、「イケベはユニークで親しみやすい」というブランドイメージを築いてきました。その膨大な広告記事の中から一部を抜粋いたしましたので、ぜひ、ご覧ください。

「ハチ公、待たせたな。」
1983年3月(昭和58年)渋谷店がオープンしたタイミングで出稿した周知広告「渋谷にイケベが出た!」。現在、渋谷エリアではジャンルごと14の専門フロアを展開していますが、その当時の渋谷店は現在のような形ではなく、ひとつの店舗でさまざまなジャンルを扱う楽器店で、渋谷店は2011年に「グランディ&ジャングル」として移転リニューアルするまでの28年間にわたり、その場所で営業を続けました。(掲載:ヤングギター/1983年)
「当店の特色」
当時のイケベ楽器店ならではの「ゆるすぎる」企業広告。「池袋・水道橋・渋谷、どの店も駅のそばにある。だから、と言う訳ではないが通販は余りにも有名である。」「スタッフの楽器に対する知識は夜空の星よりも多く、深遠である。」「幹部と称する背広姿が店内をシカメッ面してウロついていない。」「流行はいつもここから始まるので業界の“竹下通り”と呼ばれている。」このような他社の追従を許さない遊び心がありすぎる広告は多くの雑誌読者の印象に残りました。(掲載:不明/1983年)
「木は毎日のように膨張収縮を繰返している。」
気をてらったものばかりではなく、このような、楽器店の広告の枠を超えた正統派のメッセージも数多く発信していました。(掲載:ヤングギター/1984年12月号)
「臨時ニュースを申し上げます。」
バンドブーム前夜の1988年、その最中に突如、真っ赤な見開き2Pに「臨時ニュースを申し上げます」の一言のみの表現には様々な反響が寄せられました。「遊び心」と「ただでは終わらない精神」が発揮されたイケベ楽器店ならではの広告でした。(掲載:不明 / 1988年)

1990年代 ─ 変革期。専門店化と第二次バンドブーム

今回は、1990年代におけるイケベ楽器店の歩みにスポットを当て、当社が大きく変革を遂げた時代を振り返ります。

1975年、池袋の地で誕生したイケベ楽器店は、1983年に渋谷、1986年には秋葉原へと店舗を拡大し、着実に成長を遂げてきました。そして1990年代に入ると、当社は大きな方針転換を行います。それが、現在のイケベ楽器店の大きな特徴でもある「ジャンルごとの専門店化」です。

ハイエンドギター&アンプ専門店「ギターズステーション」を皮切りに、レコーディング機材に特化した「パワーレック」、DJ機器にフォーカスした「パワーDJ's」など、特定分野に強みを持つ専門店舗を次々と展開。これにより、各ジャンルに精通したスタッフによる提案力と、ニーズに応える品揃えを実現しました。

1990年は、日本の音楽シーンにおいても重要な節目の年となりました。前年1989年にスタートしたテレビ番組『三宅裕司のいかすバンド天国』(通称「イカ天」)が大きな話題を呼び、全国的に第2次バンドブームが巻き起こります。UNICORNやJUN SKY WALKER(S)など、アマチュアから誕生した個性豊かなバンドが次々にシーンに登場しました。

このブームを受け、楽器業界では1990年のギター・ベース販売が前年比150%以上という驚異的な伸びを見せ、若者たちの間で「演奏する」「音を追求する」文化が急速に広がっていきます。バンドブームが深化し、やがてインディーズブームへと移行するなか、イケベ楽器店は単なる楽器販売だけでなく、「音を鳴らす場」の提供にも取り組み始めます。

1996年には秋葉原エリアにライブハウス「CLUB GOODMAN」をオープン。プロ・アマ問わず数多くのバンドがこのステージに立ち、自らの音楽を発信する拠点となりました。さらに1998年には、既に運営していた「スタジオリボレ」の二号店「スタジオリボレパート2」をオープン。1Fにはライブ演奏が出来る小ホールを備え、様々な音楽スタイルの需要拡大に応える形で機材と環境の両面を強化し、より多くの音楽クリエイターたちに支持されるスタジオへと進化を遂げました。

こうした時代背景のなかで、イケベ楽器店は“本格志向”のユーザーたちから確かな信頼を獲得していきます。専門知識を持つスタッフを各店に配置し、プロユースにも対応する機材や楽器を豊富に取り揃えることで、「本格的な楽器を手に入れるならイケベ」という評価が徐々に確立されていったのです。

1993年 11月(平成5年)
渋谷エリア 高級ギター専門店 ギターズステーション オープン
1994年 4月(平成6年)
リボレ秋葉原店にリペア&カスタマイジング工房「WSR(ワークショップリボレ)」を設立。
1995年 8月(平成7年)
池袋エリア 録音・デジタル機器専門店 パワーレック オープン
1995年 9月(平成7年)
池袋エリア 管楽器専門店 ウインドブロス(管楽器全て取扱い) オープン
1996年 4月(平成8年)
秋葉原エリア・スタジオリボレにRスタジオを増築
1996年 4月(平成8年)
秋葉原エリア ライブハウスCLUB GOODMAN オープン
1998年 4月(平成10年)
渋谷エリア DJ機材専門店 パワーDJ's オープン
1998年 9月(平成10年)
秋葉原エリア スタジオリボレパート2 オープン
1999年 7月(平成11年)
渋谷ギターズステーション(岸上ビルB1F)移転リニューアルオープン

イケベ楽器店トピックス

イケベ楽器店専門店第一号店「ギターズステーション」開店当時の雑誌広告
イケベ楽器店専門店第一号店「ギターズステーション」開店当時の雑誌広告
リボレ秋葉原と同じビルの地下にライブハウス「CLUB GOODMAN」をオープン
リボレ秋葉原と同じビルの地下にライブハウス「CLUB GOODMAN」をオープン

日本音楽シーンの主なできごと
・PRINCESS PRINCESSのアルバム『PRINCESS PRINCESS』が前作『LOVERS』に続き、オリコンチャート1位を獲得、及びミリオンセラーを達成した。累計売上は約140万枚。グループ最高のセールスを記録。(1990年)
・CHAGE and ASKA「SAY YES」が 『101回目のプロポーズ』主題歌で大ヒット。CDシングル売上280万枚突破。売上記録を更新。(1991年)
・B'zアルバム『IN THE LIFE』が160万枚超えの大ヒットを記録。“B'z現象”と呼ばれる社会的ブームが加速(1992年)
・1987年のデビュー以来、パンクロックを基調に社会性と感情をストレートに表現してきたTHE BLUE HEARTSが解散を発表。(1993年)
・Mr.Children「innocent world」がオリコン年間シングルランキング1位(約193万枚)で年間1位を獲得し国民的バンドへ。(1994年)
・DREAMS COME TRUE「LOVE LOVE LOVE」が累計248.9万枚を売り上げ、シングル作品では最大のセールスを記録。。アルバム「DELICIOUS」と共に同年のオリコン年間チャート第1位を獲得。(1995年)
・GLAY「グロリアス」「BELOVED」でミリオンヒットを連発。「BELOVED」は第39回日本レコード大賞アルバム大賞を受賞し、ロックバンドの頂点へ。(1996年 )
・X JAPAN解散ライブを東京ドームで開催(1997年)
・hide(X JAPAN)が急逝。日本音楽界に衝撃、5万人が葬儀に参列し社会現象に。(1998年)
・宇多田ヒカルアルバム『First Love』累計売上767万枚で日本歴代1位の売上を記録。<2025年時点でも継続中>(1999年)

海外音楽シーンの主なできごと
・Mariah Careyがデビューアルバム『Mariah Carey』をリリース。シングル「Vision of Love」が全米Billboard Hot 100で4週連続1位。(1990年)
・NIRVANA『Nevermind』1991年9月24日リリース。収録曲「Smells Like Teen Spirit」が全米・全世界でセールス累計800万枚を超える大ヒットに(1991年)
・ERIC CLAPTON「Tears in Heaven」が世界的ヒット、グラミー賞主要3部門(レコード・ソング・男性ポップ)を受賞。(1992年)
・Whitney Houston「I Will Always Love You」が世界的ヒット全米13週連続1位を獲得。映画「ボディーガード」サウンドトラックも世界累計4,500万枚を売り上げギネス認定される。(1993年)
・Oasisが『Definitely Maybe』でUKデビューし、初登場:全英アルバムチャート1位、当時のUK史上最速のデビューアルバム初週売上記録を樹立。(1994年)
・The Smashing Pumpkins『Mellon Collie and the Infinite Sadness』リリース。全米初登場1位/グラミー受賞を獲得し、全世界で約1,000万枚超のセールスを記録する。(1995年)
・映画『トレインスポッティング(Trainspotting)』が大ヒット。映画の象徴的なトラックとなった「Born Slippy .NUXX」によってUnderworldが世界的にブレイクする。(1996年)
・ダイアナ妃の死が音楽界にも影響を及ぼし、彼女を追悼してElton Johnが歌った『Candle in the Wind 1997』は世界歴代NO.1の約3,300万枚を売り上げた。(1997年)
・Claudette Dion「My Heart Will Go On」が世界的ヒット。映画『タイタニック』主題歌として大ヒットし、1998年最大のシングルに。(1998年)
・Santanaアルバム『Supernatural』が Billboard 200にて1位(12週連続)を獲得。22年ぶりの全米1位を獲得し、“再発見”とコラボブームが活性化。(1999年)

雑誌広告ライブラリー

創業以来、イケベ楽器店は、数多くの音楽専門誌で、他の楽器小売店とは異なる「やわらかい」広告を多数展開し、「イケベはユニークで親しみやすい」というブランドイメージを築いてきました。その膨大な広告記事の中から一部を抜粋いたしましたので、ぜひ、ご覧ください。

「20th POWER」
20周年を迎えた1995年のイケベ楽器店らしい見開き広告。他社が商品情報で埋め尽くされている中、勢いよく道路を疾走しているイメージとコーポレートメッセージのみという大胆な構成となっています。(掲載誌不明)
「ダイナマイト・リペア・コラム」
イケベ楽器店はただ「売る」だけではない楽器の専門店ということを体現している広告内で掲載していたコラム。イケベが誇るリペアショップ「WSR」額田が毎回マニアックなテーマをギターと関係のない小ネタを挟みつつ掘り下げてお伝えしていました。この回ではおすすめのプロレス本を紹介しています。今では一般的となっている、コンテンツ型広告のはしりと言えるのではないでしょうか。(掲載:Guitar magazine広告内)
「ホントにつくっちまった、松本くんのダブルネック」
かつて一世を風靡した"あの"ギタリストが愛用していたシェイプをベースに、自社開発でダブルネック仕様のギターを製作・販売した企画です。あえてアーティスト名を明かさず、「松本クン」と表記するなど、そのギリギリな攻め方からも、当時の挑戦的な姿勢がうかがえます。(掲載誌不明)
「セットの元祖、イケベが激安価格でブッチギリ!」
90年代前半に巻き起こったバンドブームにおけるJ-ROCK勢の活躍、そして90年代中頃のヴィジュアル系バンドの隆盛ぶりが、いかに凄まじかったかを物語る広告です。バンドファンがそのまま楽器を始めるケースも多かったことから、掲載された商品はすべて、初心者がすぐに始められる「セット価格」と単品価格の両方を併記していました。
当時はインターネットの普及率がまだ1〜2%程度(1995年時点、個人ベース)で、ネット通販もほとんど存在していませんでした。そのため、音楽誌の広告を見たお客様が電話で注文をするというのが一般的な購買スタイルでした。当時のスタッフによれば、「雑誌の発売日には、お店の電話が鳴り止まなかった」「倉庫はアーティストモデルでいっぱいだった」とのこと。 (掲載誌:不明)

次回は2000年代〈拡張期〉にスポットを当ててご紹介する予定ですので、どうぞお楽しみにお待ちください。

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