Alembicブランドを立ち上げるまでの経緯を教えて下さい。

ロン・ウイッカーシャム氏  高校生の頃から放送に関わる仕事を始めて、卒業後は陸軍で二年間、放送局の仕事を経験しました。
それからインディアナ州からカリフォルニアに移ってしばらく後に、当時すでに有名だったアンペックスに入社し、(主に映像に関わる)放送の仕事に携わりました。アンペックスでは設計技師として働きながら友人のスタジオも手伝っていました。

グレイトフルデッドとの出会い

 グレイトフルデッドとの出会いもその頃で、1968年にパシフィックレコーディング・スタジオで行われた” Aoxomoxoa”アルバムのレコーディングでは、(同年に発売されたばかりの)当時最新鋭のマルチトラック・レコーダー”MM-1000”の16トラック・バージョンと、それに合わせて自ら設計したマルチトラック・ミキシング・コンソールを使用しました。
スーザン(ウィッカーシャム夫人 / アレンビック社長)や、Bear(オウズリー・スタンリー)ともここで知り合いました。 グレイトフルデッドはライブ中心のバンドだったため、バンドにとってPAやライブレコーディングは非常に重要なものでしたが、当時はまだ満足のいく音響システムが確立されておらず、音質はあまり良いものとはいえませんでしたね。 ピックアップ&サーキット基板 私は彼らの説得もあり、マルチトラック・レコーディングとバンドの音質改善のために専念することを決め、翌年1969年にはAMPEXを辞めて、(彼らのオフィスとリハーサルスペースがある)カリフォルニアのノヴァトのビルに引っ越し、ここから”アレンビック”としてのキャリアがスタートすることになります。
我々のレコーディングのスタイルは、基本的には何もせず、”ありのままの音を録る”、ということでした。

”ウォールオブサウンド”

 いかに元音に忠実に録音するかに重きを置き、”ウォールオブサウンド”と呼ばれる音響システム(これは70年代に入ってからと思われる)とマルチトラック・レコーダーを用い、コンサートのPAやライブ録音を提供していました。
実は彼らと出会った当時は、グレイトフルデッドの音楽については詳しくありませんでしたが、彼らのライブやレコーディングを通じて得たものは多く、それらは私にとってどれも大変興味深いものでした。それと、これは余談ですが、当時ヒッピーのコミュニティーも身近に存在していて、実際に二週間ほど一緒に過ごしたことがありましたが、私の性分には合いませんでした(笑)。
 同年(1969年)、楽器の音質改善のため(特にピックアップ部での余計な歪みや濁りを取り除くため)に私達はAlembicピックアップとエレクトロニクスを開発し、フィル・レッシュ (Grateful Dead) やジャック・キャサディー (Jefferson Airplane) 、デビッド・クロスビー (Crosby, Stills, Nash & Young) 等が使用していた既存の楽器に搭載することから始めました。(クロスビーのGuildの12弦ギター、フィル・レッシュのSGベースに始まり、レッシュやキャサディーのGuildのホロウボディのベース(Starfire)にインストールされ、ボブ・ウィアーやジェリー・ガルシアに至っては、ツアーやスタジオの殆ど全ての機材にモディファイが施されていた。)

ヒストリー補足

アレンビックストアのドアの写真
アレンビックストアのドアの写真。
1970年にはサンフランシスコのユダ通りに移り、3名のローディーと、ロンの技術者として、ジョン・カール(サウンドエンジニアであり、ルーカスフィルムやピクサーを始めとするハリウッド映画の音響を手掛けるParasoundのオーディオアンプのデザインコンサルタント)と、ジム・ファーマン(パワーサプライで有名なFurmanの創設者)を雇う。また、この年の夏にはアレンビックは会社となり、リック・ターナー(現Turner Guitars)、ボブ・マシューズを招き、彼らに同等の株を配当している。また、当時彼らはMM-1000に次ぐ第二の16トラック・レコーダーを用いて、PAやライブレコーディング・サービスも提供しており、同年、ワーナーの映画のPAとサウンドトラック、ジョニ・ミッチェル、ピンクフロイド等のライブレコーディングやPAまでも手掛けた。 (ローリングストーンズやグレイトフルデッド、J.エアプレイン等が出演し、バイカー集団”ヘルズ・エンジェルス”がセキュリティーとして雇われ、事件となった伝説のオルタモント・コンサート(`69)の録音もアレンビックが手掛けた。このコンサートの模様は、翌`70年に "Gimme Shelter"として映画化され話題を集めた。)

アレンビック第一号機 ジャック・キャサディーの為に製作された
アレンビック第一号機。

”アレンビックストアのオープン”

 その後、サンフランシスコのダウンタウン(60 ブレイディーストリート)にオーケストラが入るぐらい大きなスタジオを作りました。後にリペアショップも併設し、アレンビックストアとして1971年にオープンしました。
2つのドアのうち一方はショップで、スピーカー・キャビネットの製作やギターのリペア(やAlembicの楽器、MacIntoshアンプ、JBL、EV、Shure等の製品の販売)を、そしてもう一方はスタジオになっており、ここではマルチトラック・レコーディングを行っていました。(パシフィックレコーディングスタジオだった施設を買い取って刷新したことで、当時最高水準の16トラックレコーディングが可能なスタジオだった。それ以外にも、PAデザインやコンサルタントも行っていたという。) ジャック・キャサディーは我々の最初の顧客で、彼の楽器(ギルドのスターファイアやギブソン)を修理したり、実験的にモディファイしたりしました。私の場合は、楽器の構造よりも、むしろその楽器によって起こっている現象のほうに興味があったのです。 こうして1972年に、ジャック・キャサディーの為にスーパーフィルターを内蔵した、記念すべきアレンビックの第一号機を製作しました。ギターも同年に製作し(シリアル#2はデッドのボブ・ウィアーに、#3はジェリー・ガルシアに納品された)、`72年には最終的に18本の楽器が製作されました。

”Alembicサーキット”の第一号は、どのようなものでしたか?

 最初のサーキットのことは、はっきりとは覚えていませんが、ジャック(キャサディー)の楽器ではなく、オレンジか赤のギターでしたね。
それは、いわゆるバッファー回路のような”フラット・プリアンプ”でした。
イコライザーを搭載したバクセンダル・スタイル(2EQ、又は3EQの現在最もポピュラーなアクティヴ・サーキット)のような色付けはあえてせずに、あくまでナチュラルに信号を送るために設計したもので、ボディやピックアップのレゾナンス(共鳴、共振)をそのまま変えることなく、トーンを変化させることが出来ます。”レゾナンス”は、ギターの弦から、時計やテレスコープ(天体望遠鏡)の原理にまで通じる最も重要な要素なのです。
これが発展して後に誕生した“Series I”サーキットは、始めのうちはパッシヴのトーン回路を採用していました。

 ピックアップに関しても、基本的には前述のフィルターと同様、ナチュラルなトーンを目指し、これまでのピックアップがディストーションを生む不自然な減衰だったのに対し、アコースティック楽器のような自然な減衰を目指しました。
レス・ポール氏の楽器(いわゆる”レスポール”ではなく、レスポール・レコーディングのほう)がそうであるように、ピックアップのターン数を減らし、磁力の強いセラミック・マグネットを用い、PUの外にマグネットを出さないようにデザインすることで、不必要なディストーションをなくし、クリアで自然なトーンを実現しています。

そういったサーキットのアイデアはどのようにして生まれたのでしょうか?

 全ては独学で本を読んだり、ライブやレコーディング現場で経験してマスターしました。
これまでの経験やアイデアを音楽に結び付けられたことは幸運だったと思います。
また、時代の変化とともにサウンドや再生環境も変化し、サーキットもそれに合わせたものを作ってきました。
「ミュージシャンが頭やハートで感じた情熱をいかにストレートに伝えられるか。」ウォールオブサウンドやアレンビックのサーキットも形は違えどコンセプトは同じで、いかにライブのそのままの音を再生することが出来るかという点を常に考えてきました。

アレンビックのエレクトロニクスには、音質や耐久性のために何か特殊な素材や構造が採用されているのでしょうか?

ハンダ付け作業 ウィッカーシャム氏自らハンダ付けの実演を
していただきました。
 幸運なことにアンペックスで学んだことが役に立っています。
楽器の耐久性を確保するためには、ノブなどのパーツに軍用規格のものを使用しました。
当時はベトナム戦争の時代でしたから、中には抵抗のある方もいらしたようですが、我々としては品質として良いため、あえてそれらを使用していました。また、故障の原因となりやすいエレクトロニクスのワイアリングや端子の接点に関しても、一番過酷な環境であるNASAの宇宙規格を基準に考え、それらに使用される規格のものを使用するようにしました。
配線材には、銀メッキやテフロン・コーティングのケーブルも使用しようとしたこともありましたが、テフロンは硬すぎて長期使用に不適切と考え、ティン(錫/すず)コーティングの線材を使用しています。
また、誰がハンダ付けをしても配線材の被覆が溶けたりして音質が劣化してしまうようなことがないように、線材の被覆には耐熱性の高いものを採用しています。 ハンダに関しても、熱に弱いサーキットのことを考え、融点が低く確実にハンダ付けが出来るように、シルバーベースで錫を含んだものを使用しています。
 キャビティーのシールディングには、シルバー・ペインティングを採用しています。銅などでは木に直接塗った場合、経年変化によってひび割れたり、導電効果が無くなることもありますが、シルバーは粒子が非常に細かく、湿度の影響や経年変化によって木が伸縮してもコンディションが変わらず、導電効果も変わりません。

今でも根強いファンが多い”F-2B”プリアンプはどのようにして生まれたのですか?

F-2Bプリアンプ  F-2Bは、フェンダーのデュアルショーマンが基になっています。
デュアルショーマンのパワーアンプ部は、構造上もともとノイズを生みやすいものだったため、我々はラインアウトを追加改造して、マッキントッシュのパワーアンプと組み合わせて使用していました。
 しかし、ヘッドとパワーアンプの両方だとあまりに大きく重いため、プリアンプをラックマウント化するため、オリジナルのサウンドはそのままに、異なる構造でデザインし直すことでノイズや音質劣化の問題を解決しました。
■長い時間インタビューにご協力いただき、ありがとうございました。
最後に、日本のカスタマーの皆さんへメッセージをお願いします。


ロン・ウイッカーシャム氏
アレンビックの楽器は、私ひとりではなく皆で作っており、お客様のおかげで私達は助けられています。
アレンビックの楽器を選んで下さってありがとうございます。

Text by Kenji Okazaki / Bass Collection FEB.2010
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