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「良いという観念について」
| 皆さんこんにちは!この原稿を書いている今日現在、まだ手をつけていない修理待ちのギター君達をたくさん抱えて納期というプレッシャーに押しつぶされそうになっている額田です。がんばって仕事をしても次々と新たなギター君達がやってくるので、一向に手が空かないという状況が続いております。うーん、年を追うごとに忙しくなっているような気がするなぁ。 さて今回は「良いという観念について」というまたもや壮大なテーマなんですが、あまり深く考えずに日ごろ思っていることを書いてみましょう。 ギターの世界には「良い」とされている観念がたくさんあります。50年ぐらいのエレキギターの歴史の中でメーカーや製作家、ミュージシャン達によっていろいろな試行錯誤され、多くのデーターが蓄積されて「良い」という観念が形成されていったというのは言うまでもありません。 しかし、エレキギターには、さまざまなスタイルのギターがあったり、多種多様のジャンルの音楽に使われたりするので、プレイヤーによって「良い」という観念がまったく違うものになってしまうことが少なくありません。例えばナットやフレットのチューニングが狂わなくて、ビビらないというような機能面に関してはほぼ万人が「良い」と納得する所があると思うのですが、楽器を実際に弾くというプレイヤビリティーやギターの音色に関してはプレイヤーによって意見はさまざまということです。 バイオリンの世界では18世紀にストラディヴァリが作った楽器が「バイオリン」として、形状や構造をほとんど変えずに現在まで作りつづけられており、大きく製作家の独創性を注入するところといえば、材質と塗装(ニス)だと思うので,プレイヤー側が「良い」ものを選ぶ選択肢は非常に少ない。 もちろんジャンルもほぼ限定されていますしね。それに対し、エレキギターの世界では、これぞエレキギターという形状もないし、構造もない。さらに、電気的構造も各モデルによって変化に富んでいる。製作家たちが「良い」を追及した形もしくはミュージシャン達のスタイルに応じて変化を遂げているわけです。 この辺がエレキギターの面白くもあり、難しくもある点だと思う。 たくさんの「良い」が存在するからには我々はそれを知らなくてはならないと思う。それを理解した上で初めて新たな「良いの観念」が生まれてくるものだと思うから・・・。 次回は「ペグ交換のお話」 |